同窓会にいつも出席できないレイちゃん



『もしもし、レイちゃん、元気』
『うん、元気よ』
『善吉兄さん、どう』
『おかげで最近とてもげんきよ』
 鹿児島に住んでいる小学校からの友人との会話です。彼女の夫は、事故で身体障害者になって十六年目です。介助器具を使用してトイレは自分で用をすませるようになり、食事もベッドのサイドテーブルに運べば何とか自分で摂ることができるように快復したとのこと、初めのころ三、四年はずーっと入院生活だったそうです。
 さて、平成六年一月、おたがい還暦を迎えたのを機会に、わたしたち小学校の同窓生は、郷里の佐仁で三、四年生当時の担任の先生をお招きして、全国同窓会を開きました。関東三名、関西二名、沖縄から五名、徳之島、沖永良部からそれぞれ一名、名瀬六名、地元笠利十名、計二十名が一同に会しました。なかには、昭和十九年の卒業いらい始めて会うという仲間もいて、みなさん一様に感慨ひとしおのようでした。

 その集いに、とうとうレイちゃんは出席できませんでした。当時、関東地区に住んでいた私は、幾度となく電話して誘ったのですが、いま思えばあの当時は、夫が退院したばかりで、身体の不自由な人を残しての帰郷など、とても気が重く、レイちゃんなりに無念の涙をながしていたのかもしれません。
 歳月は流れて平成十二年九月十四日、わたしたちも数え年七十歳になり、地元の敬老会に招待をうけたのを機会に、全国の同窓生に帰郷を呼びかけ、関東二名、関西一名、名古屋一名、沖縄一名、名瀬七名、地元六名、計十八名が顔を揃え、笠利町の『あやまる荘』で一泊、真夜中まで親交を暖めあいいましたが、その集まりにも、レイちゃんは出席できませんでした。

  鹿児島に旅行するときなど、彼女の家に泊めてもらったりするほどの間柄ですが、そのわたしが、レイちゃんの生き方に『ギモン』をもつようになったのは二度目の同窓会に誘ってからの頃からです。
 一泊の帰郷は物理的にも無理だから、せめてニ泊、身近に子どもたちもいることだから、その子供達に、ご主人のお世話を頼むなり、あるいは介護保険もスタートしたことだし、ショートステイを依頼するなりして
『なんとか、帰れるようにできないか』
とすすめると、レイちゃんは、
『周囲の協力はなんとかできるが、主人がいやがるのでキリだしにくくて』とのこと。
 歳を重ねれば重ねるほど、夫婦の関係はいろいろ考えさせることばかりです。彼女の場合、ご主人との年齢差は二歳。どちらが先にこの世をさるかはわかりません。それこそ神のみぞ知るです。
 レイちゃんは、優しすぎるのです。いかに身障者といえども一定の距離は保ち、精神的な自立心は促しつづけていくようにしなければ、本当の面倒見にはならないのでは・・・・とのわたしの思いです。かりに、ほんとうにかりに、ご主人が後に残された場合、レイちゃんの今のようなお互いに甘えあった、夫婦べったりの生活だと、介護問題は別にしても、ご主人の精神的なショックは致命的なものになりかねません。
 健常者はいうまでもなく、なんらかの障害を背負っている人でも『自立』と『自律』するということだけは心していかなければ・・・・と歳を重ねるごとに自答しているこのごろです。

 来年二月(旧暦正月)に、古希を迎えるにあたって、三回目の、そしておそらくは最後になるであろう全国同窓会を計画していますが、彼女に連絡するのが今から気が重く、どこまで踏み込んで話ししていいものやら、思い悩んでいる私です。


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佐仁通信

 
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