シマのくらし--食を中心にーー


 私が住んでいる笠利町佐仁は、奄美大島本島の北の端に位置し、夕日がとてもきれいな集落です。東シナ海の彼方に沈む夕日の美しさは、日本一ではないかとわたしは思います。
 9月1日現在の世帯数は199戸、人口407名で、高齢化率は44%(笠利町では31.3%)と高く、今年の敬老の日に90歳以上の人で町から祝い金をうけられた方が15名おられました。最高齢者は97歳で、名瀬におられるご長男やホームヘルパーさんが面倒みていますが普段は一人暮らしで『記憶のたしかさ』には回りの者がびっくりするくらいです。ほとんどの方が車椅子や手押し車は使っていますが、いわゆる痴呆のひとは一人もいません。
 亜熱帯の気候風土、海と山・・・・溢れるばかりの自然に恵まれた生活環境、そこから採れる無農薬食材・・・・、健康で長寿の秘けつとして、国内外で話題にされ注目されている『素因』がすべて充たされているのではと、わたしは考えています。
 佐仁出身で音楽家の故村田実夫さんが作曲した『佐仁音頭』という唄の一節に「言葉 潮風荒いけど ひとの情けの厚いとこ ソレ 厚いとこ」というくだりがあります。
 12月にはいると、小型台風なみの西風(北風)が来る日も来る日も吹き荒れています。集落内や山里の野良仕事で、はなしをしても大きな声でないと聞き取れません。『荒場』で風が強いから、佐仁コトバは荒くなったという、古老たちもいます。

 さて、今日のわたしの役目は、テアブラ・ジュウリ(手油料理?=シマ料理)こそが長寿・健康食ではないか、ということのようですので、本題にはいります。

 佐仁は、笠利町の他の集落にくらべ田畑などの耕地面積は多くなく、さきほど申し上げたように、冬場の季節風が強いので、農業で生計をたてることには大変なハンディを背負ったところです。ですから、大島紬業(機織り)が盛んで、ほとんどの家庭が6割~7割、あるいはそれ以上の割合で紬を生業とし、残りの家庭内労働力を農業に振り向けるという按配です。集落では篤農家として知られた、わたしの生家(親の代)も紬半分、農業半分というのが実情でした。
 ところが現在は、和装離れやデフレ・スパイラルとかの大変な不景気で、集落の経済的な生活は、ふつう一般の中流水準の視点からみれば『どん底』、あるいは『ナベ底』といえると思います。

 話しの焦点は、それほどに貧乏、経済的な苦境にあるにもかかわらず、集落の人たちが南国の太陽のようにとても明るいということです。何故でしょう?。
 夫とときどき話題にするのですが・・・・どんなに不作でも自然に恵まれていて、なんとか食っていけるからだろう。「あしたはあしたの風がふく」というのが天性の気質となり・・・・。これに比べ雪深い北国の、歴史上にも名高い、いわゆる南部飢饉、天保の大飢饉となると、ふゆばは雪に覆いつくされ、草の根一片口にすることができなくなり、また海に出かける事もままならないわけです。天保、南部の飢饉のときには地域集落に犬猫一匹いなくなった、と記されていると聞いています。その点、奄美大島は敗戦直後(昭和21、2年当時)の、蘇鉄の実や芯を持ち出すまでもなく、生活の根底に『なんとかなる』という開き直りがあるからではないでしょうか。
 裏庭につながる海辺や東シナ海にちょっと漕ぎ出せば、高級魚ではありませんが、ブダイ・アイゴ.ネバリ・ウルメ類がたくさん釣れるようです。 わが家にも知り合いから時々差し入れされます。海草類も季節にともないいろいろ採れます。自分達の畑で、すこしがんばればさつま芋・里芋・田芋など、家で食べる分はつくれます。そんなに遠い昔の話しではない、農作業や生活の根底に『ユイ』の気持ちがあれば、お互いになんとかなるというのがお年寄りたちの心の支えになっていると思います。

 最後に、わたしたちは昨日シマ料理の試食会で佐仁料理(サンジュウリ)を7品調理して試食してもらいました。
1、さつま芋のてんぷら・・・衣は餅米の粉を使う
2、モンフネヤセ・・・・・・ホンダワラ(海藻)と貝袴を一緒に煮込んだもの
3、アザンギヤセ・・・・・・ノアザミの茎と豚のあばらの煮込み
4、ツワヤセ・・・・・・・・ツワブキと豚のあばらの煮込み
5、クワリとウニの和え物・・田芋の茎とウニの和え物
6、ウナリ・・・・・・・・・フノリを炊いて固めたもの
7、タ-マン・・・・・・・・田芋を煮たもの
 シマでは取り立てて珍しい料理ではありません。つい3・40年前までは折にふれて出されていた家庭料理です。ですから、わたしのような共稼ぎの給料生活の長い、どちらかというと料理下手がこういう場で話しができるのです。

 この度、「スローフード」の試食で使うための食材をいろいろな方の協力を得て調達しました。佐仁の磯でいくらでも採れたウニは極端に少なくなり、考えられないほど高価な食材になりました。ホンダワラも海辺から無くなりかけています。きのうお出しした「モンフネヤセ」は平成7年の解禁の日に採って保存していたものを、遠い親戚からゆずり受けたものです。自然が年々衰えていくのを見るのは本当に寂しいかぎりです。乱獲、赤土や生活廃水の流出、原因はいろいろでしょうが、なんとしても『ユイ』の気持ちを取り戻して、豊かな海と野山を、もとの還して子や孫に受け継いで行きたいものです。その共通目的があれば集落は元気です。


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佐仁通信

 
 
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